一番上の子がお腹にいることがわかった時私は悩みました。毎日泣いて悩んで悩んで泣いて不安で怖くて悩んで…私なんかが母親になっていいのかと。
ずっと悩んでいました。母親になってはいけない人間だと思っていたからです。
【虐待を受けた子は虐待をする 】
いつか聞いたこの言葉が恐怖で自分が怖くてすごくすごく悩みました。
私は虐待されて育ちました。育児放棄でもありました。 幼稚園の頃から家事や買い物、料理や掃除をしていました。
下の兄妹の世話も幼稚園や学校は行かずにしていました。お風呂に入れてミルクをあげてオムツを替えて本を読んで…。
ご飯と言ってもお米は重たくて買えないので インスタント、ホットケーキ、冷凍食品など簡単なものしか出来ませんでした。
生焼けだったりした日には大変でした。
母親は朝から夜まで寝ています。夜中はピッチをずっといじっていました。父親は自営で早朝から仕事で朝起こすのは私の仕事。
寝起きが悪く起こしても怒鳴られ起こさなくても怒鳴られ…
起きて見送る時にはいつも母親を監視しておくようにと言われていました。
家事育児をしながら過ごし父親が帰ってくると私が避妊具の数を数えさせられる。夜ご飯はほぼ外食でした。
母親のご飯は記憶にありません。全然もっと色々沢山あるのですが、とにかく 普通ではない家族でした。
そのあとは両親ではない人に育てられるのですが、そこはもっと辛くて… 今は育ての親とも会っていません。
なので私には身内がおらず、帰る場所も実家もありません。 離婚をしなかった理由はここです。
離婚したら仕事を探し、家を探し、保育園を探し、おじいちゃんやおばあちゃんという存在はいなくなり、私に何かあっても頼れるとこもなくなる。。。
この世で絶対的な味方がいない。生きにくかったです。
だから我が子には、これでもか!ってぐらい幸せを感じさせたい。 誰よりも幸せになって欲しい。
絶対に幸せにする。
勉強が出来なくてもいい。健康で幸せならそれだけで十分です。
上の子がお腹にいるのがわかった時は、本当に不安で自分は母親になるべきではないと思っていました。
でもさよならも出来なくて、この子だけに辛い想いをさせたらいけないと思って自殺しようとしましたが、失敗しました。
そこで決心しました。この子は生きたいのだと。絶対に自分に負けないと。
つわりが酷い体質でしたが、つわりよりも支え合うことが出来ない旦那と過ごすのが何より辛かったです。
未来が怖かった。
でも、家族出来たことはすごく嬉しかったです。まだ会ったこともない我が子に励まされて頑張ろうと思えました。
辛かったけれど幸せでした。
生まれる時も生まれてからも幸せで、楽しくて嬉しくてこんなに小さいのに、なんでこんなに可愛いのかな。って
イライラする事もなかったです。
小さい爪が可愛くて、小さい手と足も可愛くて。首が臭いのも一生懸命泣く姿も全てが愛おしくて
幸せでした。
我が子達の為にも旦那へ経済的な依存はやめようとも思っていました。